熊本地方裁判所八代支部 昭和32年(ワ)12号 判決 1960年1月13日
原告 株式会社鏡中央魚市場
被告 田崎寿蔵 外一名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告等は連帯して原告に対し金五〇万円と之に対する本件訴状送達の日の翌日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告等の連帯負担とする」旨の判決並びに保証を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求原因として、
一、原告会社は、原告並びに被告両名外数人の者が発起人となつて、昭和二七年六月二八日に設立した、水産物鮮魚並びにその加工品の集荷販売を目的とする会社で、当時被告田崎寿蔵が代表取締役原告代表者並びに被告名島勇はその取締役であつた。
二、昭和三〇年一一月一〇日被告田崎寿蔵は後記退職者を代理して、原告会社を代表する訴外田崎栄蔵との間に、次のような契約を締結した。即ち被告両名及び訴外江島忍、猪木芳明、平本義博、吉田近善、稲垣一、並びに齊藤至朗等は、同人等の所有する原告会社の株式を原告会社に譲渡し、同時に原告会社の役員の地位を退いて退職金として原告会社から総計五〇万円を受領する代りに、原告会社と営業目的を同じくする会社の設立をもしない趣旨を含めて、原告会社の運営に対し営業の妨害となる一切の行為をしない旨の契約をなした。
三、原告会社は、右契約の趣旨に従ひ、同月三〇日に被告田崎寿蔵に対しては現金をもつて一〇万円、被告名島勇に対しては原告会社が同人に支払うべき鮮魚代金の売掛金債務と相殺して六万円を支払つた。
四、然るに被告等は訴外江島忍、猪木芳明並びに平本義博と共に、同年一二月一六日原告会社と同種の営業を目的とする株式会社鏡第一魚市場を八代郡鏡町に設立することゝして定款を作成し、株式引受人となつてその払込を完了の上、同月二二日に設立登記経由し、前記訴外人等と共にその取締役となつて、同三一年一月二日から原告会社と同種の営業を開始した結果、原告会社の昭和三〇年一月二日から同年一一月末日までの純益は、五五四万四、三四六円であつたのに比べ、同三一年一月二日から同年一一月三〇日までの原告会社の収益は、僅かに七二万〇、三六〇円に過ぎずその差額四八二万三、九八六円は、被告等が株式会社鏡第一魚市場を設立して、同一町村で原告会社と同種の営業をなしたが為めに蒙つた損害であり、被告等は同会社の取締役として同会社の事業を遂行したのであるから、右損害金のうち五〇万円を、原告会社の営業に関する行為としてなされた営業妨害禁止契約の違反行為として、商法第五〇三条に基き被告両名に連帯してその支払を求める。
五、仮りに被告等に債務不履行による賠償義務がなかつたとしても、被告等は第二項記載の如く、営業の一部譲渡と目すべき株主権並びに役員の地位を譲渡したのであるから、商法第二五条の類推により、同一町村内においては原告会社と同種の営業を営むことは出来ないのに拘らず、右競業避止義務に違反し、原告会社と同種の営業を目的とする会社を設立して、その株主及び取締役となつて原告会社と同一の鮮魚の販売事業を開始した結果、原告会社に前項記載の如き損害を与えたから、共同不法行為として同項記載の金額と同額の損害金の支払を求める。
六、そこで、右五〇万円と之に対する本件訴状送達の日の翌日から完済に至るまで年五分の割合による損害金の支払を求める為めに本訴に及んだと陳述し、
立証として、甲第一号証の一ないし四第二、第三号証、第四ないし第六号証の各一、二第七号証を提出し、証人桑原秀喜(第一、二、三回)坂口俊一の尋問を求め、原告会社代表者本人尋問の結果を援用し、乙第一号証の成立を認めた。
被告等訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決並びに仮執行免脱の宣言を求め、答弁として、請求原因第一項は認める。第二項のうち、営業妨害禁止の特約のあつた点を除き、その他の事実は認める。仮りに、被告等が原告の主張するが如き契約をなしたとしても、競業をなしたのは株式会社鏡第一魚市場であつて、契約の効力は第三者である右会社には及ばないのみならず、被告等が同会社の株主になり、将亦取締役に就任し更に取締役として同会社の為めに行動しても、競業避止義務不履行ではない。第三項は否認する、但し被告田崎寿蔵が一〇万円、同名島勇が六万円の配分を受けることになつていたことは認めるが、支払を受けたのはその一部である。第四項のうち、被告等が訴外江島忍、猪木芳明、平本義博と共にその主張の日に原告会社と同種の営業を目的とする株式会社鏡第一魚市場を設立したこと、被告等が同会社の株主並びに取締役になつたことは認めるが、同会社が事業を開始したのは同三一年一月七日である。その余の点は否認する。第五項のうち、被告等が原告会社の株主並びに取締役の地位を辞任したこと、原告会社と同種の営業を目的とする会社を同一町村に設立し、被告等がその株主並びに取締役となつたこと及び同会社が右事業を営んだことは認めるが、その他の点は否認する。株式譲渡、役員辞任は、営業の譲渡と異る性質のものであるから、被告等には商法第二五条の競業避止義務はないと述べ、
立証として乙第一号証を提出し、甲第二、第三号証、第四、第五号証の各一、二はその成立を認める、甲第一号証の一の田崎寿蔵名下の印影部分は同人の印影と同一であるが、本人が押捺したものではない、同号証の三、四は成立を認めるが、昭和三〇年一一月三〇日に作られたものである、甲第七号証の田崎寿蔵名下の印影部分は同人の印影と同一であるが、本人が押捺したものではない、その他の部分は不知、その余の甲号証は不知と答えた。
理由
請求原因第一項の事実は当事者間に争がない。
昭和三〇年一一月一〇日被告両名は、訴外江島忍、猪木芳明、平本義博、吉田近善、稲垣一、斉藤至朗等と共に、その所有する原告会社の株式を原告会社に譲渡し、同時に原告会社の役員の地位をも退いて、退職金として総計五〇万円を原告会社から受け取つて夫々配分することになつた点は双方争がない。その際、被告両名は、原告会社を代表する訴外田崎栄蔵との間に、原告の主張する様な営業妨害禁止の契約をなしたかどうかについて考察しよう。
証人桑原秀喜(一、二、三回)坂口俊一の各証言、原告会社代表者本人の供述によれば、昭和三〇年一一月一〇日八代郡鏡町料理屋田中屋において、従来の会社役員は辞任し、退職金として総額五〇万円を原告会社より受け取り、退職者はその持株数に按分して之を配分することになつたが、その際当時原告会社の会社の指導に当つていた坂口俊一の発案に基き被告田崎寿蔵が退職者を代理し、訴外田崎栄蔵が暫定的に原告会社を代表して、覚書(甲第一号証の一)の如き内容の契約を交はし、退社株主は原告会社の運営に対して営業妨害行為は一切之を行はない旨の合意が成立した事実が明白である。(甲第一号証の一)は後日作成された様であるが、それに押してある被告田崎寿蔵の署名押印は同人のなしたものか否か不明であるとしても、契約が覚書記載のような内容であつたことは動かせない。別に反証はない。
然らば右にいう会社の運営に対して営業妨害行為は行はないとはいかなる意味に解すべきものであろうか。原告会社と同一の水産物鮮魚の集荷販売業を同一町村内で営む行為が営業妨害行為の最たるものであることはいうまでもないから、契約当事者の被告等個人が競業避止の義務を負はなければならないことは当然である。問題は同人等が会社を設立して、原告会社と同種の営業を営み、同会社が原告と競業する場合である。覚書の文言には表示されてはいないけれども、禁止行為のうちに原告会社と同種の営業を目的とする会社の設立を禁止する趣旨を含んでいたことは、証人桑原秀喜、坂口俊一の各証言に照して認められるとしても、同種の営業を目的とする会社の設立そのものによつては原告会社は何等の妨害を受けないのみならず、設立された会社の株主となつたり、その取締役に就任すること自体も亦、原告会社の営業に損害を与えるものではなく、設立された会社が原告会社と同種の営業を開始して始めて、原告会社の営業内容に影響を及ぼすのであるから、言い換えると、原告会社と競業するのは契約上の義務者である被告等以外の人格者である会社であるから、被告両名が前認定の如き同種の会社を設立しない義務を負うていたからといつて、特段の定めのない限り、設立後の会社が行つた競業の結果について迄被告等は当然責任を負うべきものと断定することは早計である。この点は又別の観点から検討する必要がある。
会社の形態を利用して、競業避止の契約を回避することは許さるべきではないが、契約上の義務者は被告等個人であつて会社ではないから、会社の競業行為について被告等に契約違反として責任を追求するためには、被告等が会社の背後にあつて之を支配している事実、つまり会社の支配者と契約上の義務者である被告等が同一人であること、このことは被告等が会社の株式の全部若くは重要部分を保有することによつて達せられる場合が多いであらうが、それに加えて、契約上の義務者である被告等に契約上の義務を回避する為めに会社を利用せんとする事実(法人格否認の法理)が立証されなければならないものと解する。昭和三〇年一二月二二日被告両名は訴外江島忍、猪木芳明、平本義博と共に株式会社鏡第一魚市場を設立し、その株主並びに取締役になり、ついで同会社は翌三一年一月から原告会社と同様水産物鮮魚の集荷販売を開始した事実は双方争がないけれども、被告両名の保有した同会社の株式数等明白にならない以上同会社と被告両名とを同一視すべきか否か判定し難く、被告両名が競業避止の契約を回避せんが為めに同会社を利用した事実の立証も原告提出の全証拠によつては困難にして、同会社の競合により原告会社の蒙るべき損害を被告等が負担する旨の特約のあつたことの証拠も発見出来ないから、前記会社の行つた競業行為について被告等に責任を負はしめるわけにはいかないものと解する。
つぎに予備的請求として原告は株主ないしは取締役の地位の譲渡は営業の一部譲渡と目すべきであるとして、商法第二五条の類推により、被告等に競業避止義務があることを前提に、その義務違反に基く損害金の支払を求めているけれども、株主ないし取締役の地位の譲渡が営業譲渡又は之と同一視すべきものでないことはいうまでもないから、その他の点について検討するまでもなく、この点の原告の請求も亦理由がない。
従つて、その余の争点について判断するまでもなく、原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して主文のように判決する。
(裁判官 田畑常彦)